小柳宣昭 道修町Studio 楽読奈良スクール

運動音痴は運動能力ではなく真似るチカラに差があった

 
運動音痴
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Koyasan 小栁宣昭(こやなぎのぶあき)

ニックネーム:ピンキー
日本一の速読教室「楽読」の奈良スクールマネージャー。
そして、日本一「昭和歌謡」を愛する楽読インストラクター

2014年  写真撮影、映像制作の小栁宣昭写真事務所、道修町Studio主宰。
歯科医、クリニックへの出張撮影のほか、ペット専門出張撮影サービス「CuteMambo」運営。

2020年  楽読奈良スクールオープン

みなさん、こんにちは!
Koyasanです。

私は運動音痴です。

お笑い系のテレビ番組で「運動神経悪い芸人」ってあるでしょ。
あれ、笑えないのです。
自分が「運動神経悪い芸人」の側だから。

今日は運動音痴について、考えたお話です。

運動音痴の自覚

初めて運動音痴だと自覚したのは幼稚園児のころ。
他の人はできるのに、でんぐり返しができない、かけっこができない。
なんかヘンって気づきました。

そして小学校では跳び箱ができませんでした。
先生が「先生のマネして」とか「〇〇君のマネして」とか言って、自分ではマネているつもりでも全くできていない。
しばらくすると先生が「どうしてできないの!」と怒り出し、最後はボコっと叩かれる、そんな体育の授業時間でした。
体育の授業がイヤで嫌で。。。
それを引きずっていて、学校の先生って好きになれません。

学年が上がるにつれ、体力はついているハズですが、下の学年が跳んでいる跳び箱の高さが飛べないので、体力が原因ではないと感じていました。

跳び箱

跳び箱

中学で体育系のクラブへ

体育、スポーツは全般できずのまま、小学校を卒業します。
私が通っていた中学校は、何らかのクラブ活動はしないといけない雰囲気で、特に体育系のクラブ活動をしないといけない雰囲気でした。
もちろん、そんな決まりはありませんが、空気というか、雰囲気です。

私は、球技ダメ、格闘技ダメ、体操ダメ、陸上ダメだったので、残ったのは水泳だけでした。
でも中1の春時点で泳げたのは25メートルだけでした。
それでも、シーズン終わりには数キロ泳げるようになっていました。

でも、飛び込みができない、クイックターンができない、そんな状態でした。
学校の水泳大会では他の水泳部員は華麗なターンを決めて、異性の注目を浴びていましたが、私は両手をタッチする普通のターンしかできませんでした。

幸い(?)、弱小水泳部だったので、3年間やり切って卒業しました。

水泳

水泳

アルファベットが覚えられない

運動は苦手でしたが、手先を動かすのが好きで、中学生の頃は技術家庭の授業で、みんながミシンの扱いに苦労している横でミシンを器用に操り、簡単なカバンを勝手に作って喝采を浴びていました。
そんなことから、モノ作りに興味があり工業高校に進もうと決めました。

しかし、問題を抱えていました。
当時は中学から英語の授業がスタートしますが、アルファベットが覚えられず、中一の1学期から英語はつまずきました。
何とかアルファベットを覚えられたのは夏休み入ってからで、英語の成績はずっと最下位でした。
高校へ進学するために、英語に苦労しながらも勉強し、どうにかギリギリの成績で高校受験をクリアすることができました。

アルファベット

運動音痴がバレない

工業高校では、相変わらず体育と英語に苦労しながらも、専門課程の授業は楽しく、専門課程の成績は結構よかったです。
校外学習の一環で信州へのスキー合宿があり、コーチが良かったのか、スキー合宿で何とか滑れるようになり、生まれて初めてスポーツが楽しいと思えました。

ただどうしてもスキーをマスターできない生徒もいて、跳び箱が飛べない過去を思い出しました。

運動音痴がバレずに工業高校を卒業し、地元のメーカーに就職しました。

マネができないことに気付く

地元のメーカーで働き始め、モノづくりの面白さにハマっていきます。
ただ、なぜか「同じようにマネして」と言われると、なぜかできないことがあるのに気づきました。
何か微妙に違う。

手先の器用さで何とか自分なりの補正し、幸い誤差の範囲だったので、バレていないだけでしたが、マネができない自分がいることに気づきました。
小学校の頃の跳び箱が飛べない時に先生に言われた「マネすればいい」が苦手だと気づきました。

それからかなりの時間が過ぎたある日、武井壮さんが「大人の育て方」というテーマで講義するYouTubeを目にします。

その講義で武井壮さんは
俺の頭の中で「思った通りに動いているつもり」なだけで「思った通り動いてなかった」
と言っています。

自分ではイメージして動かしても、思った通りできていないことが、マネができていない、それが運動音痴の原因だと理解しました。

DCDかも

一昔前は「どんくさい」と言われながらも社会に受け入れられた人も、今では発達障害とカテゴライズされることが多くなりました。

私の運動音痴やマネすることが苦手なことは、DCD「協調運動障害」の疑いがあるそうです。

NHKの福祉情報サイト「ハートネット」にある、発達性協調運動障害(DCD)の記事に当てはまることがいくつもあります。

 DCD(発達性協調運動障害)とは、「協調」という脳機能の発達に問題があるために、運動や動作にぎこちなさが生じたり、姿勢に乱れが生じ、日常生活に支障が出てしまう発達障害です。「協調」とは、視知覚、触覚、固有覚(自分の体の動きの認識)などの身体の外部や内部から絶えず入ってくる多数の情報をまとめ上げ、本人の運動企図(何をしようか)・運動計画(どのようにしようか)に基づいて、身体の動きの速さ、強さ、タイミング、正確さ、姿勢やバランスなどを適切にコーディネートして運動・動作を行い、さらにその結果もふまえて、体の動きを微調整していくという、「脳」の一連の機能です。

DCDの子どもは、体育の授業やスポーツだけでなく、「靴ひもを結ぶ」「箸やナイフ・フォークを使う」「字を書く」「はさみや定規・コンパスなどの文具・道具を使用する」「リコーダー・鍵盤などの楽器を操作する」「正確さを要求される理科実験を行う」など、日常生活や学校生活のさまざまな局面で、その不器用さが生きづらさとして現れてきます。

 

私は字が下手で、親からは「ミミズがほうた字」と言われます。
標準語では「ミミズが歩いた跡のような字」というのでしょうか。
字が下手なのも体の動きが微調整できていないからと言われると納得できます。

専門医の診察を受けていないので、DCD「協調運動障害」の疑いの域を出ていません。

これからも運動音痴やマネすることが苦手なことなどは、私の個性として受け入れて生活をする必要があります。

自分の個性を受け入れて、そして同じような個性を持った人に寄り添うことができたらと思います。
どうすれば寄り添い、私が目指す「穏やかで安心できる場所を創る」を実現できるかは全く見えていません。
どう実現するかは課題です。

最後に

運動が普通にできる方は、マネることができないって、理解できないと思います。
体の動きを微調整することが苦手なだけなのです。

私は跳び箱が跳べないなどの運動音痴として現れていましたが。
・できないのは、できると思っていないから
・努力が足らない
・やる気がない
・怠けている
と言われ、教師から殴られた経験があります。

そんな経験を活かすことができないかと思案しています。

何か良いアイデアはないでしょうか?

参考)
武井壮百獣の王国  School for all the adults who never grew up | So Takei

NHKの福祉情報サイト ハートネット  発達性協調運動障害(DCD)(1)

 

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ニックネーム:ピンキー
日本一の速読教室「楽読」の奈良スクールマネージャー。
そして、日本一「昭和歌謡」を愛する楽読インストラクター

2014年  写真撮影、映像制作の小栁宣昭写真事務所、道修町Studio主宰。
歯科医、クリニックへの出張撮影のほか、ペット専門出張撮影サービス「CuteMambo」運営。

2020年  楽読奈良スクールオープン
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